▲次回公演

イトウです。

今公演では、公演の宣伝の「メインビジュアル」を仮バージョンから徐々につくっていきながら、随時、仮ビジュアルとして公開していく試みをしています。(実際に、最初につくった「仮ビジュアル」も、「仮チラシ」として印刷し、他の公演へ折込チラシとして頒布したりSNS上や公式WEBで宣伝に使ったりしています。)


去年の12月に作成した最初の「仮ビジュアル(バージョン①)」では、宣伝美術の藤尾勘太郎 (@fujikantaro)くんとの会議で出てきたコンセプトやキーワード、検討中のメモ書き等をそのままラフにビジュアル上に書きつけて、見る人に、このビジュアルが何なのか一緒に考えてもらう…という趣向でした。いわゆる演劇公演の「仮チラシ」としては、なかなかに素敵なものができたんじゃないかと思ってます。

で、今回、その仮ビジュアルが「バージョン②」にアップデートされました。


色が塗られて、イラストとしても情報量が増しました。そして、今回のバージョンでは、コンセプトやキーワードなどのメモ書きは、薄く消され始めてます。

この「仮ビジュアル」は、最終的に実写の写真を撮影し、それを使用した完成版の「メインビジュアル」を作るための足がかりにするためのものです。完成版では、コンセプトを直接文字で説明するような無粋なことは、避けたいところです。じゃあ、ビジュアルだけでそれを伝えるのだとして、そもそもじゃあこのビジュアルが何を意図しているのか…きちんと言語化して理解しておかないと、撮影の段階で、モデルの女優さんやカメラマンさんに何をどう言ってお願いすればいいのか、困るに決まってます。

『この女の子がいるのって屋上ですよね。そもそもなんで、この子は屋上に来たんですか?』
『なんでだろうねえ…』

藤尾くんと二人、ああでもないこうでもない々やりとりを続けます。

「いや、↑そういうのって先に決まってるんじゃないの?」と思う人もいそうですが。絵を書く人とか、小説を書く人とか、作詞する人とかに聞いても、この順番はだいたいこうで、最初にイメージの方が出て、後からそれが何を意味するのか考えて、言語化して、共有できるものにして…って方が一般的な気がします。(気がします。)

で、この言語化がうまくいかないと、イメージの方が間違ってるんじゃないかって疑念に捕まって、超絶不安に陥るんですが。経験上イメージの方が間違ってるってことはほぼないです。にもかかわらず、言語化した理屈の方を優先して、手を動かして安心するために、我慢できなくて創りだしたりなんかすると…それはもう地獄のような行き止まりオンリーの迷路に迷いこむので、ここで粘るのが超重要(超重要)だと、イトウは思うし、藤尾くんもちゃんとそれをわかって付き合ってくれる流派の人間なので、イトウは超信頼してます。

『女の子は、たぶん睨みつけてると思うんだよね』
『誰をです?』
『うーん、タイトルが「ロリコンとうさん」なんだから、やっぱ「とうさん」なのかな』
『なんで「とうさん」を睨んでるんですか?』
『ええと……』

『いや、でもさ、もし睨んでる相手が「とうさん」じゃないんだとしたら、誰なんだろう』
『実際にこのビジュアルを見て目が合うのは、お客さんですよね。画面越しとか、チラシを手に取ってくれてる』
『え、どうして観客のことを睨むの?』
『さあ…』

『ていうか、そもそもこの子が屋上に来た理由は何なんですか?』
『逃げて来たのかなあ…?』
『誰から?』
『ううーん、逃げてはないか、堂々とこっちを睨み返してるし。』
『なんで屋上なんです?』
『うーん、追い詰められてるのかな。行き止まりだし。無限の空が広がる行き止まり…?』
『でも行き止まりの背景には、ビル群ていうか…社会?を背負って…対峙してるんですよね、どっちか言うと』
『ああーなるほど、追い詰められてるのは、むしろこっち側なんだ』
『ですね』

…こんな議論が、本当にビジュアルや作品の完成に繋がるのかどうか、内心ビビってビビってしょうがない性分のイトウなんですが、「この過程には確かに価値があると感じています!」って態度を決してくずさない藤尾くんの姿勢が、クリエイターとして非常にリスペクトできるなあ…と思うことしきりの今日この頃です。



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